配付資料の体裁

目次

授業において、追加で資料(授業プリント)を作る・教材を書くということはよく起こる。 その中身については、教員それぞれの考えかたに基づいて力が尽くされているだろう(そうでなければ、そもそも自らで書かずに教科書や市販のもので済ませればよい)。 しかし、その体裁へはあまり思いが馳せられていないのではないかと感じる。

ここでは、高等学校数学科教員の立場から、私が作る配付資料(授業プリント)の体裁について、備忘のために現在のことをまとめておきたい。

背景

教員のみなさまにおかれては、授業のために資料を作ることがしばしばあるだろう。 私もそうであり、おそらく多いほうであろうとも思う。 教材を書くにあたっては、構成と内容が主であることは言うまでもない。 しかし、生徒の理解を深めるにあたって、私たちはもっと体裁に気を配らねばならないのではないだろうか。

「親切な」資料の価値

この前置きについて、親切に過ぎ、生徒の対応力を削いでいると感じる教員もいることと思う。 たしかに、いろいろな場面で状況に合わせる力を身につけることも大切である。 しかし、そうした能力を養うことは、それそのものを目的とした場(たとえばホームルーム)に任せればよいと考えている。 近年では発達障碍をはじめ、子供たちの特性はさまざまであることが明らかになってきている(私個人は、近年増えたのではなく、これまで気づかれてこなかった・無視されてきたものが「見えるようになった」のだろうと考えている)。 教科の授業では、その教科の持つ中身に立ち向かってほしい。 したがって、それ以外の難しさはなるべく取り除きたい。

よく目にする体裁

生徒のころに受け取った資料を思い出しても、反故紙などとして印刷室に残された資料を眺めても、次のようなものを多く目にする。

  • 余白に乏しい資料
    • 穴をあけてフラットファイルに綴じようにも、レバー式ファイルに綴じようにも、文字が隠れてしまう。また、同じサイズのノートに挟むと、端が折れて読みにくくなってしまう。
    • 生徒は、こちらの思い通りには管理してくれない。このことへの意識はあまりないように感じる。教員集団は、多くが公務員としての教員採用試験に合格した人間からなる。それだけでも、人により得手不得手があるとはいえ、書類を管理する能力も最低限の水準にある。このことが、配慮を忘れさせる。
  • 紙面中央に文字が来る資料
    • 片面印刷であれば、山折りのうえで小口を閉じて保管しようと思う生徒もいるだろう。しかし、紙面中央に文字や図があると、折ったときに読めなくなってしまう。折った後に書き込むにあたっても、インクがにじみやすい。
    • 生徒が持つノートの多くは B5(セミ B5)判である。用紙が B4 判であれば、B5 のノートに貼るとき、中央で切らねばならないが、紙面の中央が空いていなければ裁たれてしまう。A3 / A4 用紙で A4 ノートでも同じである。(用紙が A3 / A4 判でノートが B5 判となると事態はさらに悪くなるが、ここでは本題から逸れるために避ける。)こうしたとき、片袖折りがよく選ばれるが、片袖折りは少ない枚数であればよいものの、常に使っているとノートが膨らんでしまう。

私たち教員は、中身を正しく充実したものにしようと、多くの情報を載せがちである。 さらに、紙を配ることによって授業の流れと生徒の集中が途切れること、授業の時間が奪われることなどの理由から、資料の枚数を少なくしようとしがちである。 これらによって、余白に乏しく・不自然な段組みを持ち・文字の小さな教材を作ってしまうのである。 しかし、このような資料は読みづらく・管理しづらく、生徒にとって「(何度も)読もう」というものになりにくいのではないだろうか。

解決

私は教材の多くを typst と LaTeX という組版ソフトウェアで書いている。 しかし、紙面の設定は Microsoft Word や一太郎であっても同じようにできる。

次に私なりに決めた配付資料の体裁を示す。 そのまま使っていただいてもよいし、それぞれの考えに従って変えていただいてもかまわまいので、ぜひ体裁にも気持ちを傾けてもらいたい。

紙面の設定

  • 版面は A4 用紙、B4 印刷時は B5 縮小のうえで B4 用紙2アップ
    • 現在の勤務校(2024年)では、資料はおおむね B4 用紙に刷られている。しかし、B4 用紙への2段組みとしてしまうと、データのまま扱うときに読みにくくなる。たとえば、資料をそのままプロジェクタに投影するとなっても、上下左右に動かさねばならない。縦長のデータにしておけば、そういった心配は起こらない。
  • 余白は上下 20mm、左右 30mm
    • ふつう、余白は上下を多めにとるものである。しかし、それは製本やステープラ留めを意識してのことであろう。教材はファイリングされることが多く、ファイリングでは左右の余白のみが失われる。そのため、左右の余白を多く取っている。これだけあれば、フラットファイルに多くの枚数を閉じても読みやすい。
    • 実際には、左右に 25mm あれば足りる。しかし、上に述べたように A4 でデータを作ったうえで B5 に縮刷する都合から、A4 では 30mm の余白を設定している。
  • 文字サイズは 11pt
  • 行間はおよそ 100%
    • 資料に下線を引いたり書き込んだりすることを考え、余裕のある行間とした。
    • 行を追うことが不得手な生徒や視覚に難しさを抱える生徒もいることから、少しでも目が滑りにくいように決めている。個別対応すべきこともあるが、もとより少しでも読みやすくしておくべきであろう。

書きかたのルール

次のルールは、高等学校数学科に特化している。 他の校種・教科では向かないかもしれない。 また、生徒の特徴によっては、高等学校数学科であっても合わないこともあるだろう。

  • 山括弧による見出し
    • 《定義》《定理》といった大見出しと、〈証明〉〈分析〉〈補足〉といった小見出しを用意している。
    • 高等学校数学科向けの教科書では、定義・定理やそのほかの記述を区別しない(小学校・中学校では発達段階からそうすべきであり、継続性が意識されているものと思う)。しかし、私はそれぞれの文がどのような性格を持った主張であるかを明らかにするほうが学びやすいだろうと考えている。
    • 見出しの行は見出しとタイトル(あれば)のみとしている。視覚的に区切りがわかりやすく、書き込む場所としても使いやすい。また、1枚の情報量が増えすぎないよう抑えることにもつながる。
  • 対象者を示す記号
    • 数学が得意な・好きな生徒向けの内容については、見出しに★を付けている。さらに、高校の課程外である内容については、見出しに†を付けている。数学は、苦手な生徒にとって「この内容が易しいのか難しいのか」を汲みにくい。そのために、こちらで難度を示している。資料そのものが発展的なときは、タイトルにも記号を振っている。★と†を分けているのは、試験に向けて学ぶことへの意識が強い生徒と、進んだ内容への興味が強い生徒は必ずしも同じではないからである。
  • 板書と同じ記号使い
    • 板書で用いる記号と資料で用いる記号は原則として揃えている。資料を読むにあたって、数学的な内容でないところで悩ませないためである。
    • 板書の色は、黄色のみが特別な意味を持っている。これについては、(手書きで行うことがないであろう)破線囲みを対応させている。
    • これらの記号の使いかたは、年度のはじめに凡例を配っている。
  • 躊躇のない別行建て数式
    • とくに易しい式を除いて、別行建て数式を積極的に用いる。
    • 生徒にとって、数式を読み解くことは一仕事である。インライン数式を多く使うと、行の途中で立ち止まることが増え、目が滑ったり集中を削がれたりしてしまう。

これらのルールは、自らで振り返ったり・同僚に相談したり・生徒に聞き取ったりしながら年度ごとに手直ししている。教員になってから10年を数え、紆余曲折の末それなりに落ち着いてきたと感じている。

補足

2022年当時の記述と変更

  • 版面を B5 用紙としていた。しかし、全国的に A4 用紙への移行が起こっていることも考えると、拡大よりも縮小のほうが印刷の仕上がりがよい。ほとんどはベクターデータなのだが、一部に画像を貼ることもある。大した手間の差にはならないので、予め大きめに作っておくほうがよい。
  • A4 用紙になれば2段組みを選ぶことを考えていた。しかし、読むことが得意ではない生徒にとっては目が滑りやすいこと、情報量が多く1枚の資料に向き合う心理的負担が増すこと、書き込んで学ぶ余地が減ることなどから、A4 でも余裕をもって組むほうがよいと考えるに至った。
  • 文字サイズは 9.5pt とし、傍注領域を取っていた。9.5 pt で傍注領域を設けると、1 行が 30 字になる。傍注領域は、生徒が気づきを書き込む場所であるとともに、私が講義にあたってのメモを残す場所としても用いていた。しかし、短くメモを取るための場所として用意したものの、答案を書くなど無理に使われがちであった。狭い場所で考えることの悪影響を考え、傍注領域はやめることとした。
  • 行間は 50% であった。1行が 30 字であり傍注領域も設けたため、ある程度まとまった内容を載せながら読みやすく仕上げるためである。
  • 記号は 4 種用いていた。試験までに分かればよい見出しに★、得意なひとだけが読めばよい見出しに★★、高校数学で理解できるが入試の範囲では不要な見出しに†、高校の範囲外である見出しに‡である。試験や入試を基準に記号を振ることに抵抗はありながらも、苦手な生徒にとってその峻別が難しいからである。しかし、「試験までに分かればよい」とはすなわちすべての生徒にわかってもらいたいのであり、記号は要らないと考えた。また、運用したところ★★と†の違いは明らかでなかった。結局のところ、識別すべきことはすべての生徒に必要かどうか、高校数学の課程内かどうか、のみで十分であった。
  • 板書における黄色の代わりをゴシック体としていた。しかし、フォントの違いを見分けることは生徒の特性により難しいことがあると考え、より明らかな差をつけることとした。
  • 数学的事実や一般的な内容には常体、個人的な意見に限って敬体を用いていた。本来同じ文章に混じるべきではないが、見出しで分けていたため行った。しかし、文末から意図を汲ませることも負担が大きいと感じ、意見については意見であることを文として付すこととした。
  • さらに前は、資料のすべてを敬体で書いていた。すべてを常体で書くとやや厳めしく、数学が苦手な生徒に対しては負担感があると考えたためである。しかしながら、敬体は文末表現が単調になりやすく、また文も冗長になるため、常体へ戻した。教科書や参考書の文体と揃える意味もある。

縦書きと横書き

数学の資料であれば、横書きとするのは当たり前である。数式は縦に書けないからだ。しかし、教員としては数学の資料でないものを書くこともままある。一般のコラムが数学に通じ、授業の中で紹介したくなることもある。あるいは、担任としてホームルームで配りたいものもある。このとき、縦で書くか横で書くかが問題になる。

まず、手書きであれば縦書きがよいだろう。この時代に手書きの資料を配ることは、それそのものが意味を持つ。敢えて手書きである事実とその筆使いから、何かを感じ取ってもらうのである。それは内容だけではない文化的な営みである。楷書・行書によらず、漢字・ひらがな・カタカナは縦に並ぶことを踏まえて作られており、縦が美しく書ける。いきおい、縦書きがよいと決まる。ところで、今は国語の授業でもなければ縦書きに触れる機会が少なく、親しみが薄い。とっさにメモを書くとき、横に書いてしまうひとが多いのではないだろうか。生徒たちに、縦書きの手書きは国語の授業だけではない、文化的に自然なものであるという感覚を持ってもらいたい。

残るは、印刷する資料であって、数学でないものである。何でも多数派に合わせるものではないが、ひとまず現実社会に目を向けよう。縦書きであるものは書籍・雑誌・新聞・漫画が思いあたる。横書きであるものは、公文書・科学技術文書・ビジネス文書・ディスプレイ上の文(たとえばHTML)がある。日本語は縦書きと横書きをともに許容する言語であるから、どちらを選んでも読ませることができるだろう。

私個人は、印刷物は横書きに揃えることとした。決め手はの大部分は次のひとつである。さまざまな記事・資料を作る中で、数値や英単語を多用するものを選ぶこともあるだろう(そもそも英文を紹介することもある)。その際、縦書きは読みにくい。すると、内容によって縦書きと横書きが変わるか、横書きに統一するかのいずれかとなる。整理・保管するうえでは、揃っていたほうがよかろう。

ほか、調べ・考えたことを残しておく。

  • 人間の視線移動は横書きのほうが速く、縦書きでは固視が増える。体感では横書きのほうが読みやすいと感じる人が統計上有意に多いようである。
  • ディスプレイ上は縦スクロールのほうが行いやすい(スクロールホイール・タッチパネルの仕様)ため、横書きが優位である。
  • 余談だが、こういうことをまとめていると、数学の授業において黒板で横に手書きせねばならないことは残念である。担任としては努めて縦で書いている。

これらの根拠は次である。

参考

改訂

  • 改訂: 2024-11-09
  • 改訂: 2024-11-01
    • LaTeX から typst へ組版の中心を変えるにあたり、この2年間で行った変更と組版ソフトの交代による変更を併せて書きなおした。
  • 改訂: 2022-07-23
    • 黄色板書の代替をゴシック体から、破線囲みとした。
    • 文章のすべてを敬体としていたところから、事実は常体・意見は敬体とした。